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HP New face 3.jpg99%.jpgようこそ、Netizen越風山房へ。ここは、99%の平穏な暮らしをエンジョイするための情報発信サイトです。世界第3位の「経済大国」の豊かさはなぜ実感できないのでしょうか。株価と円・ドル相場・1000兆円の累積国債に振り回される経済から脱出しましょう。We are the 99% !! 1人1人が主権者です。この国のあり方は私たちが決めましょう。


越 風 句 集(An anthology of Eppuu-Haiku)
〜自然、生活、社会のことについて、俳句に定着させる試みの記録〜

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今日の一句
静かさや枝折る雪の音いくつ

 俳句再発見。ぼちぼち還暦を迎えようと、齢を重ねるある日、ふと思い当たることがあり、松尾芭蕉の『奥の細道』を手にとった。旅の情緒もさることながら、そこで展開される俳句の世界は、いままでになくイマジネーションを喚起した。わずか17音の中に描き出される自然や生活の営みは、表現が凝縮されているだけに、鋭く、そして豊かに訴えかけてくる。あらためて、身の回りの自然・生活・社会の繊細な変化を切り取り、それを充分に表現しきる俳句のすごさに感銘する。
 300有余年来の歴史と伝統をもち、一種の定型感覚になっている17音の最短詩。この最短詩によって、なにかを表現する回路をもつことは、いままで見過ごしていた自然・社会・生活の微妙な移り変わりを深くかつ繊細に再発見することのようであり、またその感動を表現する手段を手に入れることでもあるようだ。俳句の再発見は、畢竟、新しい世界と自分の再発見でもあるように思われる。
 57調の最短定型の伝統を踏まえつつ、移り変わる季節と社会の変化を織り込んだ俳句の世界を散歩してみたい。自分の生活を見つめ、身近にある自然と社会に目を向け、利根川河畔の暮らしに根ざした俳句世界を築いてみたい。
 そのようなわけで、雪降る越後に生を受け、空っ風の舞う上州の地で暮らし、俳句を学び、遊び、できれば詠んでみようと思い立ち、俳号を自ら越風(えっぷう)と名づけた。ただ、はたして越風の俳号で、首尾よく俳句の世界にデビューすることができるかどうか、それが当面の課題であり、夢でもある。その後、2014年5月、公益社団法人・俳人協会会員に推薦され、会員となる。

[句評のコーナー]
真青な竹を降り来し雪のこゑ 山咲一星
 ものみな枯れ、白さ際立つ冬景色のなかで、「真青な」(上5)色彩を誇示する竹への着眼は、朔太郎の謳う竹の生命力を彷彿させる。しかも、天に向かうこの青い生命力に対して、天から地に降り来し、地のすべてを白く覆いつくそうとする雪とが、ぶつかりあい、差し違えるドラマが無音の世界で展開される。
 その無音の世界の出来事について、雪を擬人化し、「雪のこゑ」(下5)として読者に提示するが、もとより雪は声なき物質に過ぎない。それ故に、「雪のこゑ」は、この俳句の読者がいかようにも解釈できる。つまり、句に余韻を持たせ、句の命を読者に委ね、長きにわたる鑑賞と反芻へ道を開く。
 「真青な竹」と「降り来し雪」とは、双方が斬り合う刃のようでもある。それは、この俳人の侠気でもあり、弱者への温かい視線と社会正義から容赦ない時評を繰りだす白い狼のペンの筆力に通底する。(句集『桜の国に』掲載句より)月刊俳句誌『星嶺』第67号(2014年4月号)

多喜二の忌船笛遠き小樽港 山咲一星
 小林多喜二。いうまでもなく戦前のプロレタリア文学の旗手であり、蟹工船での過酷な労働現場を描いた代表作『蟹工船』は、翻訳もされ、国際的評価も高い。多喜二は、1932年2月20日、当時の特高警察に拉致され、拷問を受け、その日に最期を迎えた。
 今、「多喜二の忌」を上5におく句は、とても深いメッセージを発している。リストラつづきで不安定な非正規雇用者が2000万人に達し、過酷な労働を強いるブラック企業と働く貧困層が社会問題になり、特定秘密保護法が強行採決され、多喜二の最期を招いた戦前の仕組みが息を復活させつつあるからだ。
 この句を句集『桜の国に』で発見したとき、17音の世界最短詩の表現の多様性と深さを再認識させてもらった。
 拓銀小樽支店の銀行員であった多喜二、かたや俳人は北海道三笠市を郷里とする。小樽港の船笛が、歴史を越えて二人をつなぎ、さまざまなメッセージを発している。(句集『桜の国に』掲載句より)月刊俳句誌『星嶺』第68号(2014年5月号)

麻酔覚め桜の国に今もどった 山咲一星
 それがどんな病であれ、大病を経験した人の多くは、なにがしかの覚悟をもち、病棟を後にする。その意味では、この句は、大病を治癒し、ある覚悟をもって、桜の花咲く頃、いつもの暮らしに戻った、と解釈されよう。
 だが、作者は、俳誌『星嶺』を主宰する俳人であり、その高みからすれば、このような一般的な解釈を許しておくとは思われない。
 上5(麻酔覚め)は、天界を漂流していた俳人の体験報告である。手術台の上では、意識はなく、俳人であること、人であることを止めさせられた肉体だけの自分がいた。中7(桜の国に)は、その天界から、日常に回帰できた喜び、この国が平穏な桜咲く国のままに自分を迎えてくれた慶びに満ちている。この国の平穏とは一億人の花見客に象徴される。下5(今もどった)は、俳人の主宰としての覚悟を、字余りの完了形で高らかに宣言する。
 かくして、27年目の満を持しての第2句集のタイトルは、『桜の国に』となる。それは、「星嶺」の会員諸氏への叱咤激励でもある。(句集『桜の国に』掲載句より)月刊俳句誌『星嶺』第69号(2014年6月号)

2015年新年・冬
時雨ふる利根の河畔に時雨ふる
さざ波の音重くなり寒に入る
静かさや枝折る雪の音いくつ
故郷や囲炉裏想へば栗爆ぜり
時雨るるや窓の明かりに猫の影
大雪に家もきしむや夜半すぎ
春遠し汽笛のとどく枕元
凧けふ吹く風の色はなに
正月もきのふとなりてけふのあり
シャッター街襟巻笑ふお正月
いくつもの山河越え来し去年今年
福寿草大地にともしび灯りけり
岸辺にて生命生まれて去年今年
平成の不況つづきて去年今年
アベノミクス格差広げて去年今年
行く河のながれは絶えず去年今年
大空と河畔は招く去年今年

2014年冬
枯木立はや桃色の枝の先
枯すすき河畔ひましにすきとほる
冬木立忠治の風か赤城山
冬田道行く我もまた風となる
雪折れを聞く夜はさびし父不在
冠雪の山々まねく利根河畔
大岩をかけのぼりくる冬の浪
白菜の湯気あまくして部屋ぬくし
冬籠もり許してくれぬネットかな
薄墨の大地に染みて冬の川
せせらぎの他は聞えず山眠る
枯尾花日を追ふごとに風となり
赤城嶺の風花舞い来利根河畔
天空に棲む熊鷹の孤独かな
空風や小枝を降らす赤城山
見つめ合ふ上毛三山冬日和
雨いつか霙となりて利根河畔
降る雪や故郷を出でて幾年月
鴨群れて朝日集めて暖をとり
枕もと夜汽車の汽笛冬の底
白鳥の夕陽背負ひて着水す
虎落笛母校の校庭小くなり
鴨の曳く波の楔とせまりくる
SLの雪原を行く大夕焼
流木の白さかがやき冬来たる
散るために咲く花ありや姫椿
耳を研ぐ空風来けり利根河畔
冬ごもりしたくなくとも冬籠
二万年そこにをる岩冬の川
わが庭に故山を移植藪柑子
わが村の鎮守の森に舞ふ梟
2014年秋
赤い靴河畔にひとつ秋深し
芒割れぬつと顔出す赤城牛
乾草に秋の日差しのながながと
完走を讃ふ親子の文化の日
伊藤屋で句帳のカバー暮の秋
秋蝶の川辺に落ちて舞い上がり
芒原揺れそちこちの牛の声
現るる狐の大群すすき原
野分前生きとし生けるもの走る
野分後空の碧さや宙の果て
そよ風や金木犀の雨降らし
金木犀花一面の池の朝
やしろへと一直線の彼岸花
膝痛き老母のさしず芋を掘る
大野鯉ただゆったりと秋に入る
太公望夕陽を背のくだり鮎
階下より虫の音とどく旅の宿
秋の水釣師の姿すきとほり
公園の芝を住処の茸かな
連山の鰯雲架けわれ招く
満月や宙に浮きつつ幾年月
我走れば満月追ひくどこまでも
満月に兔棲めりと見し彼の日
満月に人の足形つけたる日
満月を隔つ高層ビルの街
満月のまま満月の利根河畔
俳聖の見たる満月我も見む
濁流も清流となり秋の暮
流木の影を濃くして秋の水
秋の暮釣師の姿透き通り
チャリ一台あればどこへも秋の風
梯子かけ月に登りて君をみむ
夏の金秋の日差しの銀の色
道端に猫じゃらしあり犬止まる
滑舌の後食事する父秋深し
平鮒を釣りては放す秋の暮
秋の日をボールを投げて過ごしけり
旅行けば柿の転がる道の端
階下より虫の音の涌く旅の宿
榛名富士雲とたはぶれ秋を行く
曼珠沙華手あげ迎ふ利根河畔
月青む朔太郎のこだまかな
秋冷の赤城の嶺に牛の声
月天心利根の川瀬を聞渡す
わが郷の観音堂の夕紅葉
稲穂ゆれ越後の郷の父母の影
山里の百戸の村の紅葉散る
倒木を見つけてうれし茸狩
木の実落つ音に驚く小家かな
釣人の脇をくすぐる稲穂波
愛犬と雨音を聞く秋の暮
秋立つも耳に残りし蝉の声
いちじんの秋風ページめくりけり
2014年夏
百日紅窓すぢかひに紅ゆらし
洞に人透く老木の百日紅
百日紅はげたる樹皮の風にゆれ
今日もまた夕陽に燃ゆる百日紅
わが庭の十歩に尽きて百日紅
百日紅その深紅ゆゑ猿滑り
さざ波にサーファーのいて水馬
柴刈れば地面這ひくる香りかな
麻の葉の葉脈にならぶ露いくつ
紫陽花や17歳のこころ揺れ
蛍袋われも一緒に宿りたし
甘き香を辿りしところ花茨
草木の笑顔にあふる入梅かな
雷神の赤児泣かせて雲の果て
鳴かぬまま日暮れを飛びし夏燕
雨垂れや初夏の喧噪いづこにか
紫陽花の水面にゆれて震度3
万緑を行くSLの遠汽笛
初夏の雲間に響くジャズピアノ
寂しさや花の散りたるバラの園
バラ散りてもとの閑かさ戻りけり
枝垂れては万緑空につづきたり
純白の薔薇に純白などあらず
青空の青と張り合ふ柿若葉
あの空で泳ぎたいよと池の鯉
大空も泳いでみたい野鯉かな
部屋中を泳ぎたいよという金魚
あの雲にのってみたいと三歳児
時止めて牡丹秘かに乱れ咲く
月明かり呼び寄せて咲く白牡丹
牡丹の華のおもさや高島田
散り急ぐ牡丹引き止めたき術を
牡丹散る津波のごとく崩れ散る
牡丹の散りてなほ見ゆ華の影
涼しさを求めて夏の日の河畔
夏空の水辺のしぶき兄妹
平鮒を釣っては放し日の暮れて
雨垂れに溶けかかる影緋牡丹
牡丹の千々に乱れて深き淵
牡丹咲き時の流れをさしとめる
大輪の庭の牡丹の止める時
天に月地に大輪の白牡丹
葉桜の独り占めする美空かな
2014年春
菜の花の畑の果ての野良着かな
春雷や岸辺に生命落としけり
雉子飛びシャッターチャンス逃したり
けんと鳴き日暮れ引き寄す雉子かな
初燕河畔の空気動き出す
大柳ゆっさゆっさと空揺らす
座礁して花筏また花筏
舵取りは一寸法師花筏
平和とは一億人の花見客
早春のくねる光は毛針釣
チューリップこの世の笑顔独り占め
一滴が大河となりて春謳ふ
さざ波の密かな笑ひ春来たり
春立や河原小石の笑み栄ゆ
掌に小石ころがし春を呼ぶ
明日へと自転車をこげ卒業子
梅の枝のひと揺れごとに太くなり
海苔の香や古里遠くなりにけり
腕組みて歩きし浜辺春朧
波打を歩きし日々や春朧
主なき庭に一輪梅の花
華やぎを求めて春の日の河畔
一歳の孫のほっぺや風光る
山独活や山に行きたし風に乗り
早蕨に思ひを馳せる書斎かな
青鷺と白鷺ならぶ日暮れ時
春うたふ川瀬の音のきこへをり
大仏や梅の香りも独り占め
遠近に独活見つけたり日本晴
独活くれてよらで過ぎゆく夕餉時
春大雪木々へし折っていなくなり
2014年新年
独楽はじけ一足飛びに幼き日
君がいて僕がいて去年今年
ランナーの橋駆け抜けて去年今年
アルファ波河畔散歩の去年今年
お正月カヌー1艇利根河畔
大岩の川面にそびへ去年今年
2013年冬
上州路風神行き交ふ冬来たる
隅田川暮れる橋場に雪が降る
あたたかや冬日浴びたる池の端
鵯の冬の彩り食ひ尽くし
栴檀の実白ければ空青し
時雨るや松に逃げ込む散歩人
遠山の冠雪染めし夕陽かな
積雪の軋みに目覚む深夜かな
積雪の軋みに混じる寝息かな
行く川の流れは絶へず冬銀河
対岸の灯火いくつ空っ風
雪だるまつくりつづけて日の暮れて
凧糸を引けば引きよす幼き日
北窓を塞ぐ今昔上州路
寄り添って時止めしごと寒雀
寒月にとどけとばかり鳴る汽笛
姥捨の田毎の月の数知れず
鴨群れて影崩し合ふ山の湖
数知れず集っていても親子鴨
鴨の曳く波の楔とせまりくる
曇り空ほのかに染めて寒桜
ダンプカー連なる国の師走かな
浮寝鳥日本の未来案じつつ
スカートでチャリこぐ冬の若さかな
雪だるま真昼の傷を癒やす夜
黒柴や赤毛の足で霜を履み
2013年秋
唐辛子よけパスタ巻く昼下がり
窓といふ窓から寄する虫の声
視線皆向かふ先には曼珠沙華
牛がいて父母がいて秋の暮れ
新藁の香り引き出す農作業
虫の声降る夜道行く耳となり
目耳口全身で酌むあらばしり
河原にテトラ打ち寄す野分あと
釣り人の一人静かに秋の暮
木犀や信長金箔踏みて來し
秋の空惑ひつづける洗濯機
パソコンをスリーブさせて聴く秋雨
稲妻や瑞穂の国を金縛り
蜻蛉きて頭にとまる我は杭
一本の草に露あり命あり
稲穂ゆれ教へてくれし風の道
赤蜻蛉村の堤のなつかしき
雨ふればきのこは土をやぶりけり
秋の空惑ひつづける洗濯機
2013年夏
闇もどる祭のはてし街の中
応援歌吹き抜けていく夏座敷
帰省子の訛をのせてバスはしる
掌の森のいのちや岩清水
利根河畔川鵜三羽が空渡る
ザアザアと川の瀬音や夏来たる
いちじんの涼風もとめ利根河畔
空焦がし轟音一発夏終わる
水底を照らし出したり大花火
赤青黄夏の夜空やゴッホの絵
腹で聞く花火の音の楽しけれ
ひとつだけはみ出している花火かな
水馬の水紋ぶつけあそびをり
この酷暑どう凌ぎをり屋根瓦
紫陽花に寄り添っている石碑かな
帰り道榛名を染めし夏夕焼
雨音に癒されてをり夏夕べ
せせらぎの音高まりて夏来たる
赤城山香りたどれば野薔薇かな
蟇蛙地球ゆるゆるまわしけり
滴りの海原めざす落下かな
葛の芽のおもひおもひに空つかむ
大柳今朝も大空ゆらしをり
重力にはがされあはれ緋牡丹
愁ひつつ河畔を行けば花いばら
2013年春
散る桜のこる桜も風の中
春愁の水音いつしか大河へと
白雲のごとく聳えて大桜
山脈をうすめ上州春霞
水温む水に触れたく佇つ岸辺
蝋梅の香に上州の風とける
水温む瀬音は稚魚の笑ひとも
山笑ふ街路に踊るランドセル
幼子のお喋り絶ちて春の雷
雉子一声鮮やかなりし影のこし
揚雲雀空より音符降らせしか
春の塵万里飛び来て利根河畔
陽の当たるたびに解けゐて牡丹の芽
蘆の角朝日の中のたけくらべ
鬼瓦霞のなかにある笑顔
春の雨町家の屋根を七色に
薄氷を踏んで駈けゆくランドセル
山底の闇に紛るる沈丁花

2013年新年
去年今年しづかにうごく利根河畔
焼き餅に瞳集まるお正月
初雀降りて来よとて見る窓辺
2012年冬
夕あかねミッシミッシと霜柱
萩の屋根故郷遠くなりにけり
鮟鱇の口にひろがる日本海
見返れば雪の谷川岳父母の顔
定年の朝を散歩す小六月
寒き朝先行く犬は凛として
2012年秋
パラグライダーたぐり寄せたり大花野
今日の月うさぎ跳ねしか影濃ゆし
いわし雲大魚を空に閉じ込めて
阿波踊いよいよ夜を深めゆく
大野分部屋に静寂生まれけり
故郷の夕陽引き連れ赤とんぼ
小波のごと銀色のいわし雲
赤青黄草木こもごも秋飾る
こころ急く燈火親しき一行詩
取り残す色玉上州風の端
榛名湖の波にくずれる雲の峰
はたと空見れば溢れし赤とんぼ
そよと来る風何色ぞ秋に入る
雨止んで降って湧くよな虫の声
軒下の影を濃くして秋近し
早朝の散歩で越える葛の海
2012年夏
炎天の影飲み干して喫茶店
釣堀に並びし背中時止まる
木漏れ日を連れて消えしか黒揚羽
梔子の闇からとどく香の白し
風一陣早朝プールの面走る
桑の木の揺れて赤城に雲の峰
倒木を掠めざはめく青野分
十薬や星となりたる散歩道
祝米寿父よあなたは夏男
蛍飛ぶ故郷変わらぬ川の音
大岩や出水怒濤をものとせず
対岸の釣糸キラリ夏来たる
古団扇あおげば父の風きたる
ほうたるや吾の故郷の川の音
黴生まれ吾と一緒に暮らしをり
欧州の危機はいずこやバラの園
愛犬の目玉動かし蜥蜴消ゆ
通り雨牡丹いよいよ緋の激し
牡丹の清き笑ひに藁囲ひ
2012年春
春光に打たれて走る利根河畔
利根河畔釣人長閑さを釣りて
春光の窓に影ありこゑのあり
花見客なくぽつねんと大桜
利根河畔菜の花色の風満ちて
吹かれ散るその花片は誰がためぞ
鱒釣りの光の中に消えしもの
夜桜の光あつめてナイアガラ
通学路春めく色の増えし朝
せせらぎのうたもきこへて春うらら
紅梅の蕊そりかへる雨上がり
春すでに二階に迫る雪の嵩
獺の祭り見たはず利根河畔
一筋の光くねりて鱒釣られ
目も開かぬ子犬のねむり春浅し
釣針のひしめき鱒を驚かし
春夕焼河畔に文明生まれけり
東国の山河を惜しみ鳥帰る
北窓のまだ半開き父母の家
鳥帰る空すじかひに利根河畔
春出水空に鴉の多くなり
影一瞬あれは雉子か利根河畔
地震去りていのち耀く桜かな
風一陣春来たるらし大あくび
せせらぎの光踏みつつ鱒を釣る
薄氷の表裏でせめぐ天と地と
虎杖をぽきんと折れば幼き日
寄り分かれ島々つくり花筏
2012年新年
おちこちの炎親しき初詣
破魔矢折るセシウム撒きしものは誰
2011年冬
松の葉を三重にたたみて空っ風
大凧や河畔根こそぎもちあがる
生も死も曝し誰彼冬終わる
太郎疲れ次郎も疲れ雪下ろし
白菜をすぱっと夕日の影とどく
枯れ茨河畔に夕陽こぼしをり
雪道にひとがたならぶ登下校
わが軒へ飛んで来よ来よ寒雀
柚子湯して日に一万歩の誓ひ
セシウムを覆ひし雪に罪のなし
雪ひとひら瞳で受けるあたたかさ
雪降れば遠き郷里の山見へて
その角を曲がりて寄する風落葉
セシウムに山河破られ年暮るる
川底に小石の眠り冬来たる
夢を見ることもあるかも浮寝鳥
湯豆腐の湯気の向こうの笑顔かな
故郷の屋根にしんしん牡丹雪
鴨引くやさざ波光りボート池
冠雪の山脈遙か通勤路
故郷へ向かふ電車は雪のなか
鮟鱇の口いっぱいに海の色
鮟鱇の骨隆々と凍てにけり
鮟鱇の口に潮鳴り裏通り
石蕗咲ひて手水鉢の水澄めり
赤城路を行くわれ迎ふ大根干し
ロブ打つやボールのゆくへ鷹渡る
空風に河原小石も反り返り
2011年秋
利根河畔ゴッホの星の降った夜
新米に故郷の山野香りたる
せせらぎを聞きし思ひにある夜長
SLの蒸気に反りし曼珠沙華
そそぐ陽を銀色となし秋深む
鮭跳ねて空の高さとなる旅路
木守柿空の高さを知る正午
松葉透け降る月光や影ふたつ
玄関を出で足元の秋の蝉
野分して倒木あすを育てをり
みなかみ駅汽笛一声霧の中
山霧に問ひたきことは父のこと
大窓のうらみの滝も秋の色
鰯ぐも追えば波音背中にて
栴檀の実の耀きて水しづか
秋風がはこぶ歳月石畳
赤城山引き寄せ上州天高し
朔太郎の面影しんと秋の風
セシウムに山河破られ秋の風
SLの鉄塊迎ふ曼珠沙華
秋雨を突き抜けてくるジャズピアノ
山霧の関越道も霧となり
山霧に関越道の溶けにけり
鮎落ちて雨脚つよし利根河畔
客来たるシャッター街や赤とんぼ
帰りたいでも帰れない秋の暮
故郷がそちこちにいて赤とんぼ
2011年夏
困惑の水馬ころぶにごり水
木の皮のきずに顔あり百日紅
夕立の去って軒端の人と犬
利根河畔行く手じゃまする蛇の衣
紫陽花の藍は郷里の海の色
セイウチの牙反りかえる夏の海
蛍飛ぶ地上の惨禍耐えながら
郭公の声の範囲がわが郷里
繰り返しくり返し郭公の朝
翡翠の光を見たり利根河畔
滴りの山を映して消えにけり
白シャツの若さ溢れる通学路
そちこちに夏見つけたり帰り道
夏まつり少年大人になってをり
青田風列車を押して上野まで
青空は薔薇一輪のためにあり
筍の大地突き抜くエネルギー
夏草や人の住まいを何処かへ
引力にはがされあはれ緋牡丹
五月雨の湖面のつがい石ふたつ
紫陽花や土塀の角の花として
娑羅双樹パンドラの箱閉じるべし
2011年春
川底に小石の笑ひ春来たる
せせらぎに春光織りこむ利根河畔
春光をミットで受けし草野球
花屑が教えてくれし風の道
八重桜揺れ大枝に風起こる
春の月海の地球を引き寄せる
鱒よりも釣りびと多き利根河畔
主なき家の主の櫻かな
あの独活のいざなう崖を西東
上毛の三山ひねもす春おぼろ
花屑をまるく掻き分け食餌跡
竿先にストレス移し春うらら
川底の小石動かし春来たる
2011年新年
達磨市いっとき沸き返る街か
年つまる鳶の輪空をひろげつつ
2010年冬
大白鳥夕陽をつれて戻りけり
こきざみに風にうなずく冬薔薇
冬茜息急き切って登る丘
雪原の大樹引き寄す足の跡
せせらぎの歌い出したか春隣
朝食の転がる箸に木の葉髪
しんしんと雪降る国の父不在
煮凝りを買って夜道の帰宅かな
白鳥も黒鳥もいる日暮れかな
2010年秋
桐一葉落ちて全山日暮れをり
くさり橋二つの街の星月夜
満月の兎抜け出し湖面跳ぬ
和太鼓は大地の祈り稲穂垂る
秋立つかテニスボールの音に知る
台風や父の背中の広きこと
朔太郎そこにいるのか秋の蔵
せせらぎの半音上がる初秋かな
空蝉の夕日映してをりにけり
大空のかたちいろいろ花梨の実
虫送り高層ビルに阻まれり
2010年夏
虹立ちて吊し上げたり赤城山
愛犬の舌の伸びきる酷暑かな
端居する父の背中の小さくなり
還暦の流れる雲に端居かな
鮎飛んで川いっぱいの釣り師かな
2010年春
髪切って春の重さを脱ぎ捨てる
雲間よりいのち生まるる春の雷
まんさくの千手観音おぼろにて
鉛筆のころがる音に目覚めけり
青き踏む赤城の裾の果てるまで
まんさくの千手観音ほどけをり
2009年冬
利根川をたどればはるか雪の峰
音消えて夜の底にはぼたん雪
わが里に降り積む雪の重さかな
古代より寒月浮かぶ棚田かな
2009年秋
柿落葉ゴッホの色をたたき売り
木犀の黄花踏み往く通勤路
名月は沼底にただ冷えてをり
鬼やんま木洩日つれて引き返す
故郷の車窓によせる穂波かな
2009年夏
夏館飛び込んでくるボールかな
梔子の錆色沈む日暮れかな
雲の峰連山越えて父母の待つ
2009年春
木洩日をいくつあつめて黒揚羽
花虻の羽音の告げる風の色
花馬酔木月光集め滝のごと
沈丁の闇から届く香りかな
沙羅の花落ちて地に咲く夕べかな
沈丁の織部とじこむ葉色かな
2008年冬
山茶花に寄り添い走るランドセル
水仙のあくびしている裏通り
連凧の糸電話かな水の色
しんしんと雪降る夜半の父不在
風花は越後の便り犬駈ける
冬木立ゆくわれもまた風となり

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