新潟県中越大震災から1年

        ―問い直される行政と経済大国日本―

 震度7の激震が新潟県中越地方を襲ったのは、2004年10月23日の夕方だった。その中越大震災から1年がたった。まもなく2回目の寒い冬がやってくる。今年は、初雪も例年より1週間ほど早かった。
 関越自動車道を走ると、地震で崩壊し、陥没した箇所を復旧する工事の最中である。中越地方に近づくにつれ、ときどきクルマがバウンドする。ところによっては、50センチほども陥没し、道路が波打っている。そこに分厚くアスファルトが敷かれ、路面が水平に保たれていた。
秋の空のもと、「日本一おいしいお米」のコシヒカリの刈り入れは、すでに終わっている。見通しのよくなった田んぼには、カラスやスズメたちの姿が点在する。秋の虫やカエル、ドジョウなどをついばんでいるようだ。取り入れが終わった秋の日の田園風景は、全国の地方社会のどこにもみられる風景である。
でも、日本の米どころ中越地方は、まだ大震災の爪痕を、ここかしこに残す。遠方の山々は、所々に山崩れを物語る茶褐色の山肌を見せている。集落のなかを通る生活道路には、まだ亀裂が走っているし、陥没もしている。砂利で亀裂を埋めた箇所もある。路肩も崩れたりしているので、車で通るには慎重になる。家屋の石垣や土手のくずれも、完全には修復されていない。そこまで手が回らないのだ。
人々の暮らしは大変だ。衣・食・住といった生活の基本に支障を来す家族が大勢いる。倒壊を免れた家屋は、補修し、そこで暮らしが継続できる。でも、修復不能な家屋は、そこに住めない。やむなく、仮設住宅での暮らしを強いられる。いまでも、3千216世帯―1万201名の人々が、仮設住宅などでの避難生活を送っている。
内閣府によると、昨年度の災害で全壊・半壊した住宅は、約3万5000戸ある。そのうち、国の被災者生活再建支援制度による支援金を受けたのは、約3千500戸、被災者の1割にすぎない。しかも支援金はわずかであり、資金使途も賃貸住宅の家賃などに限定されている。住宅再建には使用できないのだ。住宅再建に使用できる公的資金といえば、県の提供する100万円などである。2000万円ほどかかる建築費からすれば、これでは住宅の再建など不可能である。
中越地方では、被災した家族の3割にあたる1000世帯が自力での住宅再建を断念した。現金収入の少ない地方社会で、二重の住宅ローンを組むことなど、到底できない。まして高齢者世帯なら、なおさらのことである。いまは仮設住宅でなんとかしのいでいる。
でも、仮設住宅の入居期間は、2年間である。あと1年間しか住めない。その後、どうすればいいのだろうか。行政の真摯な対応が急がれる。世界第2位の「経済大国日本」のあり方が問われている。