〜黒柴・幸助の記〜  更新日2009年1月28日  

 幸助がやってきた

〜生後2ヵ月でわが家にやってきた柴犬・幸助の成長記〜

  

雪国の新潟県長岡市で、2007年1月10日に生まれた柴犬・幸助(こうすけ)は、ちょうど2ヶ月間を母犬のもとで過ごした後、故郷を後にし、クルマで2時間たらず、関越高速道を通って、県境を越え、群馬県前橋市のわが家にやってきた。

はじめて子犬を飼うことになったわが家は、小さな生命を家族に迎え入れた期待と不安でスタートすることになった。そんなわけで、折りにつけ、ここに成長記録を書き記すことにした。

はたして、どんな場面が展開されるのか、どんな事態に陥るのか、生後2ヶ月の子犬は、どんな幸せを運んできてくれるのだろうか。田舎の実家の屋号でもある「幸助」の名をいただいた黒柴の雄の子犬の幸せな旅立ちと暮らしを見守っていこう。

 


雪国からようこそ

  〜幸助、生後60日目、田舎の雪の中で遊ぶ、旅立ちの日〜

黒柴の雄の子犬、幸助は、ようやく晴れ渡った早春の日、わが家にやってきた。

この日、2007年3月10日は、父の83歳の誕生日であり、幸助の60日の誕生日でもあった。新潟県長岡市の日本海地方では、雪が1週間も降り続き、週間予想も翌日から雪になる予報がでていたが、その合間のこの日1日だけ、晴天が訪れた。

父の誕生祝いと幸助を連れてくるために、前橋から父母たちの暮らす家まで2時間ほど走った。生後23日目に会った時と比べて、幸助は、二回りほど大きくなり、なによりも動作が俊敏で、元気いっぱい走り回っていた。まだ耳は立っていない。

弟は、すでに血統書も用意してくれていた。日本犬保存会の「日本犬血統書」によれば、幸助の玄祖父の「黒琥文(くろこもん)号」は、柴犬のチャンピョンになった雄の黒柴ということであった。まだ10歳ほどの年齢で元気なようだが、幸助の容姿は、この玄祖父の「黒琥文号」によく似た母犬にそっくりである。母犬は、弟の愛犬であり、名前は、「姫」という。2歳3ヶ月のこの黒柴は、血統書の「犬名」を、「早出乃松姫(はやでのまつひめ)号」という。ちなみに、幸助の血統書の「犬名」は、「錆洸乃北斗(せいこうのほくと)号」であり、日本犬犬籍簿[日保籍]の登録番号は、「小 H19-5910 号」とある。命名者の姪と甥たちによると、命名の所以は、黒柴の理想的な色彩の「錆色(さびいろ)」に輝く背中をもつからだという。錆色の姿態に、顔、胸、腹、手足、尾に、ほどよく茶と白が混ざった柴犬が幸助である。

久しく飼っていたシェパードが亡くなり、愛犬を柴犬に代え、室内で飼い始めてから、すっかり黒柴の魅力にはまり、日本犬保存会に入会し、幸助の作出者となった弟(犬舎名「小国苑」)から、餌の量や用法を聞き、メモを取る。昨今では、大きめのコップ1杯のドッグフードを3等分して、朝、昼、夕と3回に分けてやっている。熱湯を注ぎ、冷めたら粉ミルクを小さじに山盛りにして振りかけ、よくかき混ぜて人肌ほどになったら与える。5ヵ月までの仕付けが重要、とのことだった。

幸助がすぐに懐いてくれるようにと、生後23日目のときに、あらかじめ持って行っていたオモチャ、ハウスを兼ねる運搬用のキャリーケース、敷物にするフリースの毛布、などと一緒にクルマに乗り込み、出発した。前日から、来ていた甥のGちゃんも、一緒に後部座席に座り、幸助の様子を見てくれていた。

クルマが発車すると、すぐに不安を訴える大きな声で、幸助は鳴き出した。しばらくすると、おとなしくなった。高速道路に乗り、クルマのスピードが出てくると、環境の変化を感じたのか、また鳴き出したが、ほどなくおとなしくなった。クルマがトンネルに入り、黄色いライトに照らし出され、車内の騒音が独特のくぐもるような音に変わったとき、また鳴いた。でも、トンネルも、2本ほど通過すると、これにも慣れたのか、以後、前橋までおとなしく乗ってきた。こんな道中の様子を見ても、幸助が、賢く、気持ちの座った子犬であるように思われた。

 〜故郷を旅立つ当日、雪の中で遊ぶ〜

 前橋の自宅まで2時間、途中休憩なしで走り続けた。自宅に到着して、サークルの中に、幸助を入れてきたケースごと置くと、そこで小指ほどの嘔吐物をはき出した。きれいに拭き取ってから、庭に出してやった。ゆっくりと地面のにおいをかぎ、草花に鼻先をつけ、自分がどこにいるのか、慎重に観察しているようだった。これから、多分、自分の一生を過ごすことになる庭との初めての出会いであったが、ほどなく腰を落として、オシッコをした。すかさず、Gちゃんと一緒に「ヨシ、ヨシ」、と褒めてやった。

与えた水も、ピチャ、ピチャとよく飲んだ。これで安心。夕方の6時20分に餌を与えると、7時30分頃に、ハウスの中から、「ウォーン、ウォーン」といった声を出したので、庭に連れ出したら、小指大のウンチを2本ほどした。幸助の新天地での最初の1日は、こうして暮れた。

翌朝の6時頃、「ウォーン、ウォーン」と鳴いたので、これはトイレの合図と判断し、庭に連れ出したら、オシッコとウンチをした。自分のハウスやサークルの中では排泄しない賢い犬である。「ヨシ、ヨシ」、と褒めてやり、サークルの中に戻した。しばらくすると、今度は、遊んで欲しいのか、甘えるような声で、「キャーン、キューン」とさかんに鳴き出したが、弟の助言に従って、無視し続けた。新しい環境になれてもらうためと人間社会のルールに従わせるためだったが、だいたい1時間ほど鳴き続けた。これが初めてわが家にきた幸助の様子だったが、賢く、気持ちの座った子犬なので、ほどなくわが家と新しい環境に慣れ、ステキな一員になってくれるに違いない。

Kousuke, welcome!

(2007年3月11日)

 

 

幸助に千客万来

 〜生後80日目で耳が立った幸助、2007年3月30日、テラスで記念写真〜

幸助がわが家の一員になって20日目(生後80日目)、それは、3月30日の朝だった。階段を下り、いつものように幸助に朝の挨拶をすると、どことなく凛とした顔つきになっていた。

幸助の耳が立ったのだ。先端で折れ曲がり、愛くるしさを見せていた子犬特有の耳が、生後3ヶ月間際に、成犬の柴犬と同じ形のピンと立った耳になった。さっそく幸助のお気に入りのテラスで、記念撮影をした。

犬好きの人は、ことのほか子犬に興味を示すようだ。子犬の幸助の話をすると、「ぜひ見たい」、と入れ替わり幸助に会いにやってきた。まず、ボストンテリアを愛犬にもつ義兄夫妻が、東京からやってきた。幸助も、ソファにすわった義姉の膝の上でご機嫌な様子だった。ワンちゃんの扱いになれているのか、初対面なのに、おとなしく膝の上でなぜてもらっていたのには、ちょっとビックリした。

ご近所のHさんは雄の柴犬を飼っている。今度、班長さんを引き継いでもらうことになったが、子犬の時の扱いや親切な獣医さんを紹介してもらった。名古屋に転勤中のご近所のHOさんの奥さんもやってきて、玄関で話し込んだ。1年前に愛犬の柴犬を老衰で亡くしていた。妻の友達も幸助に会いにやってきた。英会話仲間のKさん、テニス友達のSさんとお嬢さん、URさん、Uさんとお嬢さん2人である。

そして、耳が立った翌日には、つい20日ほど前まで幸助の育ての親だった田舎の弟と両親がやってきた。すっかり大きくなり、聞き分けがよくなった幸助を見て安心したようだ。幸助の体重は、70日目で3.8キロ、80日目で4.5キロを記録した。1日平均で70グラムほど体重が増えていることになる。また、2ヵ月だというのに、「オスワリ」と「マテ」もできる賢さも身につけた。

幸助もよく覚えていて、初対面の来客とは全く別の反応を示した。和室に座った弟と両親の3人の間を大急ぎで行ったり来たり、手をなめ、顔をなめ、はしゃぎ回って大歓迎をした。日曜日には、Iちゃんも東京からおじいちゃんとおばあちゃんと幸助に会いにやってきた。居間のソファで3人の顔をなめ、あっちを向いたり、こっちを向いたり、と幸助も全身でうれしさを表現していた。

幸助を中心に、人の輪が何倍にもふくらんだ。幸助を見つめる人たちの瞳は優しさに満ちていた。そして、大きな笑い声が渦巻いた。人をこんなにまで感動させるのは、誕生間もない生命の輝き、底知れない無邪気さとあどけなさ、数千年を共に歩んできた犬たちと人間との共存の歴史などにあるのだろう。

朝昼晩の3度の食事、排泄物の処理、食事も外のテラスでやり、庭で遊ばせるので、その度に身体を濡れたタオルで拭き、きれいにして室内のハウスに入れる、といった付き合いを通じて、幸助は、確実にわが家の一員になってきている。いまのところきわめて順調な成長をつづけている。もうミルクを止めて、ドライフードだけに切り替え、小さなコップ一杯分が一回の食事量となり、堅からず軟らかからず、人差し指台の立派な便を1日3回ほど排泄している。費やした労力の何倍もの感動を返してくれている。

(2007年4月7日)

 

庭で、穴掘りに夢中

 〜「楽しくって、楽しくって」、夢中になって、庭に穴を掘る幸助〜

順調に生後3ヶ月を経過し、2回目の混合ワクチンも注射し、体重はほぼ6㎏を記録している。果たして食べ過ぎなのか、フードの量は、これでいいのか、迷うところでもあるが、便で判断すると、いたって健康、といった日々を送っている。

周りの物事が少し理解されてきているのか、2ヶ月目にやった最初のワクチンの注射のときには、おとなしくクルマで移動し、K動物病院に到着し、すべて首尾よく行われた。だが、3ヶ月と10日の3回目のワクチン注射の折りには、移動中のクルマのなかで、大きな悲痛な声を上げた。後でキャリーケースに敷いたフリースにお漏らしをしていたことがわかった。お漏らしをする程までに緊張していたことになる。

K動物病院に到着までには平静さを取りもどした。注射をされても、なにも声を出さず、おとなしくしていたが、後ろ足は震えていた。看護師さんが言うには、「適度の緊張は必要です」、とのことだった。いろんなことがわかってきたようだ。

家の中にいても、帰宅するクルマのエンジン音を聞くと、もう誰かが帰ってきたことを理解し、いち早く、「キューン、キューン」と鳴き始める。居間にいると、ほどなく、玄関のドアが開く音がし、家族の誰かが幸助に迎えられる。

たしかに、生後3ヶ月になった幸助は、体重が1ヶ月間でほぼ2㎏程度も増え、手足には、弾力性のあるたくましい筋肉がついてきた。投げたボールを追いかけていって、持ってくる遊びが大好きなのだが、その動作の俊敏さは、これがまだこの世に生を受けてわずか3ヶ月の生命体なのか、と疑うほどである。喜び勇んで、1メートル近くもジャンプすることもある。人間なら、4歳ほどの幼児なのに、この運動能力には驚嘆する。

そして、オオカミを祖先に持つ犬特有の行動も、ぼちぼちやりはじめた。傾斜地に自分のねぐらを掘ったり、余った獲物を地中に埋めて蓄えておく習性からきていると思われるが、幸助も、庭に穴を掘るようになった。最近のDNA研究によれば、犬の祖先はオオカミであり、しかも、オオカミに一番近い犬種は、よく似ているハスキー犬ではなく、柴犬と紀州犬であることがわかってきたようだ。

たしかに幸助を見ていると、遠い祖先がやってきた穴掘りをしているときは、我を忘れ、夢中になってやっている。そのおかげで、庭の地面に点々と窪みができてしまうが、これはこれで、見ていて、こちらも楽しくなる。でも、土を掘り返す作業は、さすがに体力を消耗するのか、「ハアハア、ゼイゼイ」、と全身で息をし、大量の水を飲んで、穴掘り作業を続けている。ガンバレ!幸助。

(2007年4月21日)


 

スズランを掘り起こす

 〜柔らかい地面にお腹をつけて一休み、じつは有毒植物のアセビの花の下〜

春がやってきて、庭の木々や草花も、いっせいに新芽を出し、庭も、色とりどりの鮮やかな色彩につつまれた。幸助も、庭で過ごす時間が多くなった。室内のゲージにいても、庭に出してくれ、と要求する。庭に出すと、いつも食事をする場所のテラスをベースにしているようだが、ひとときも休まずに、あちらこちらと移動する。草花や木々の背後に入り込んだとおもうと、突然、飛び出てきたり、立ち去ったり、躍動する身体を自ら楽しんでいるかのようだ。

あるとき、和室の前にあるトワダアシの葉っぱを幸助が食べていた。犬も、猫と同じように毛繕いをするので、体内に入った毛玉を排出するために、葉っぱを食べるようだ。そこで、気がついたのは、わが家の庭には、いつのまにか50種類を超える木々や草花を、植えてしまっていたのだが、その中には毒性のあるものもあったはずだ、ということだった。

さっそくネットで調べてみた。すると、予想外に多くの有毒植物を、庭に植えてしまっていたことがわかった。春になると、白い小さな鈴のような可憐な花をつけるスズランは、その容姿に似ず、毒をもっていた。

たとえば、ネットでよく利用するフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、スズランは、次のように紹介されている。「強心配糖体などを含む有毒植物。有毒物質は全草に持つが、特に花や根に多く含まれる。摂取した場合、嘔吐、頭痛、眩暈、心不全、血圧低下、心臓麻痺などの中毒症状を起こし、重症の場合は死に至る。スズランを活けた水を飲んでも中毒を起こすことがあり、これらを誤飲して死亡した例もある。」、ということだった。

これはいけない。スズランの葉には、幸助のかじった歯形の跡があったからである。居間からもよく見えるように、スズランは、テラスの近くに植えていた。テラスは、幸助がいつもいるところである。あわてて、スズランを掘り起こし、取り去ったのは、いうまでもない。以前、2〜3本を1カ所に植えていたのだが、地下茎をのばしてあちこちに株を増やしていたので、思いがけない作業になった。でも、目につくところは、いっさい根絶やし状態で取り去った。

これで安心と、一息ついた。だが、冷静になってみると、有毒植物のスズランの葉をかじっていたのに、3ヶ月の子犬の幸助には、これといって変化はなく、いつものように、元気いっぱい走り回っている。はたして、スズランの毒は、人間に対してのものであって、犬には無関係なのかしら、とも思った。

さっそく、電話で、世田谷の妹に聞いてみた。ずいぶん以前から庭で柴犬を放し飼いにしてきた妹が言うには、「まったく心配ない!」ということだった。毒性の草花は、犬は、本能的に食べない、というのだ。家の庭にも、スズランなど、たくさんの草花があるが、老衰でなくなった柴犬の「リュウ」ちゃんも、いま元気いっぱいの若犬の「レン」ちゃんも、なんの被害にも遭っていない、という。そんな経験的事実から、断固とした口調で、「大丈夫!」、という。

これで安心。やはりそうか、日本古来の柴犬は、いまよりも自然豊かな、多種多様の草花に囲まれながら、長い生命の歴史を生きてきたわけであり、野山には、強力な有毒植物が生えていたはずである。なのに、日本の山野で、たくましく生き抜いてきた日本犬の歴史は、有毒植物を本能的に見分けてきたことを証明している。そう、考えることにした。長年、山菜採りなどで、山中に愛犬を連れまわした経験のある田舎の弟に聞いても、「犬は、絶対、毒草は食わない」、と繰り返し断言した。

電話で、そんなことを確かめた後、妻と娘からは、「どうしてあのスズランを取り去ってしまったのよ〜」、と責められた。それに対して、「スズランは、地下茎をたくさん伸ばしていたので、取り残しもあるから、来春にはまた出てくるよ。」、と答える自分がいて、さっきまでの騒動はいったい何だったのだろう、と自問してしまった。

それにしても、身近にある可憐な草花には、毒を持つものが、じつに多いことに驚かされた。専門家の調査によると、ふつうの家庭の庭先で見かける花木や草花なのに、毒をもっているのは、以下のようである。このうち、下線をつけているのが、幸助の遊ぶわが家の庭にある有毒植物である。

アサガオ、アジサイ、アセビ、アミガサユリ、アマリリス、エゴノキ、エニシダ、オシダ、オダマキ、オモト、キョウチクトウ  、ザゼンソウ  、シクラメン、シャクナゲ、シャガ、シュウメイギク、シャリンバイ、スイカズラ、スイセン、スズランスノーフレーク、ダリア、ツルニチニチソウ、ドクウツギ、ヒガンバナ、フクジュソウ、マムシグサ、ミツマタ、ヤマウルシ、ヨウシュヤマゴボウ、ラッパスイセン、レンゲツツジ、などなど、じつに563件にも達している(以上の分類は、宮城教育大学 環境教育実践研究センター 安江研究室 鵜川研究室の運営するネット上の「ONLINE 植物アルバム」より、URL: http://plantdb.ipc.miyakyo-u.ac.jp/index.html 、2007年4月24日現在)。

ヒガンバナやトリカブトの類は、有毒植物の代表例として、よく知られているので、みな気をつけて対処するはずだが、アサガオ、アジサイ、スイセン、スズラン、シクラメンなども、有毒植物だったとは、ちょっと心外のような気持ちになる。

ガーデニングが盛んになり、外来種を含めた色とりどりの有毒な草花を植えている庭をよく見かけるが、これらを知らないで食すれば、なんらかの被害に遭うわけである。自然と隔離された人為的な都市空間で生活する現代だが、犬と人間が、いま、まともに自然に向き合ったとき、はたしてどちらが高等動物なのか、わからなくなってしまう。   

(2007年4月24日)


 

ヒヨドリ夫婦の旅立ち

 〜大好きなボールを加えて、全速力で駆け戻ってくる幸助〜

わが家の庭が幸助の庭になって1ヶ月ほどして気づいたのは、そういえば、いつも庭の片隅にあるモチノキをねぐらにしていた、元気で騒々しいヒヨドリ夫婦の姿が見えなくなったことである。

狭いとはいっても、敷島公園や利根川の近くにあるせいなのか、庭には、季節毎にさまざまな小鳥たちがやってきた。鮮やかな茶色の羽のヤマガラ、背におしゃれな白い線の模様があるジュウビタキ、目の回りにくっきりと白い縁取りを持つメジロ、ホッペの白いシジュウカラ、などが季節毎に庭にやってきて、居間や和室からのながめを楽しませてくれた。

庭には、モチノキだけでなく、ザクロ、ハナミズキ、ウメモドキ、ヒイラギナンテン、ナンテン、ネズミモチ、ヤマボウシ、など、実をつける花木が植えられている。これらの花木の実をねらって鳥たちがやってくるのだが、なかには、庭の常駐組もいて、その代表がスズメ一家とヒヨドリ夫婦であった。とくにヒヨドリ夫婦は、モチノキをねぐらにして、日に何回となく、どこかに行っては帰ってくる生活を繰り返していた。

まだ庭にヤマモミジが枝を大きく広げていた頃、ヒヨドリ夫婦は、手を伸ばせば届くような枝先に巣を作り、卵を産んだこともあった。不幸にしてその卵は、何者かによって地面に落とされ、割られてしまったために、雛の巣立ちを見ることはできなかった。あとで、田舎からわが家に遊びにきた父が言うには、「それはスズメたちの仕業だ」、ということだった。スズメも、自分たちの縄張りに侵入したものを排除するために、卵の段階で、巣から落としてしまう、ということのようだ。

たしかに、スズメ一家は、何年間も、わが家の二階の屋根瓦の隙間で営巣を繰り返していた。いつみても、4〜5羽で、庭に住み着いていた。こんな小さな空間でも、スズメ一家とヒヨドリ夫婦との間で、自然界の熾烈な生存競争が行われていたことになる。

ヒヨドリ夫婦は、そんな被害に遭いながらも、何年も、庭のモチノキをねぐらにしていた。というのも、モチノキは、ヒヨドリ夫婦の食糧庫でもあったからである。秋になると、モチノキは、小さなビー玉ほどの真っ赤な実をつけ、木全体が赤く染まる。

このモチノキの実は、ヒヨドリの好物で、常駐組の夫婦だけでなく、近隣のヒヨドリたちもやってきて、モチノキでたくさんのヒヨドリたちが供宴を繰りひろげる。その賑わいといったらない。「ギャー!ギャー!」、とたいへんな騒ぎである。そして、赤く染まるほど実をつけていたモチノキも、あっという間に、常緑樹のもとの色彩のモチノキに戻る。どん欲なヒヨドリたちの胃の中に、モチノキの実が収まったからである。

そんな恒例の供宴が終わった後も、一組のヒヨドリ夫婦は相変わらず、モチノキをねぐらにしていたのだが、幸助がやってきてから、めっきり姿を見せなくなった。

たしかに、幸助にとっては、ボール遊びが大好きのためだけなのだが、ヒヨドリにとっては、自分たちのいる木の真下で、すさまじいすばしっこさで行ったり来たりされる。ヒヨドリならずとも、あんな速さで、木に登ってこられたら、あっという間に捕まえられてしまうのではないか、といった身の危険を感じてしまうに違いない。

しかも、幸助の好きなボールは、小さな突起がついたボールなので、放り投げると、不規則にはね回り、とんでもない方向に行ったり来たりする。ヒヨドリ夫婦がモチノキの樹上から、その予測不能なボールの動きについて行って方向転換し、ボールを口にくわえて、全速力でテラスまでかけていく幸助の様子を見て、そのボールと自分を重ね合わせたとき、身の危険を察知するのは、至極当然の成り行きである。

幸助がやってきて、庭でボール遊びをはじめた日は、ヒヨドリ夫婦の旅立ちの日であったのかもしれない。

(2007年4月26日)

 

散歩、事始め、距離10㍍

 〜はじめての散歩、家の前の道路のニオイを何度も嗅ぎ続けた〜

あと1週間ほどで、4ヵ月目になる連休の晴れた日に、幸助は、いままでフェンスに囲まれ、その中で走り回っていたわが家の庭から、はじめて外の世界に、散歩に出かけた。というより、出かけようとした。

不安が先に立つのか、「おいで!」と誘っても、門の内側から外に出ようとしない。ようやく、門の外に出ても、自宅の敷地からもう一歩踏み出そうとしない。立ち止まって、家の前の道路のニオイをかぎ続けた。何度も鼻を鳴らし、慎重に、繰り返し、ニオイを嗅ぎ分けていた。多分、生まれて初めて体験する、未知の多様な情報が、敏感な臭覚をフル回転させる幸助の脳裏を行き交っているのだろう。

門横の植え込みの下には、蟻の巣があり、蟻たちが幸助の足下を行き交っていた。すると、いつものように、ペロリとなめて、食べた。人なら、蟻酸で顔をしかめるほど酸っぱいはずである。蟻酸の強烈な酸っぱさは、遠い過去の夏の日、木陰に腰を下ろして酷暑を避けていたとき、手を伝ってはい上がってくる蟻をなめた経験で十分周知している。だが、幸助は、どうということもないように、何匹も口に入れた。味覚は発達していないようだ。

家の前で、蟻を食べたり、ニオイを嗅いだりしているうちに、ちょっと安心したのか、その場で腹這いになった。身体にニオイを付けているようだった。そこで寝そべってしまった。一向に、散歩に付いてくる気配はない。あくまでもマイペース。

そんな行動を取ってから、やがて、左右を確かめ、鼻先を道路に付けながら、やっと一歩を踏み出す。トコトコ行っては、すぐ腹這いになり、辺りを見回す。向こうで、クルマや人の気配がすると、道路の真ん中で立ち止まってじっと凝視する。リードが身体にまとわりつくと、今度は、リードに食らいつき、遊びはじめる。

リードと首輪の色は、赤である。黒柴の幸助の色彩と対極的な鮮やかな色にすることで、一種のおしゃれ感を出したかったからである。近所のワンちゃんグッズを扱うお店「ロケット ドッグ」の店主が、子犬のうちは、首に負担をかけないように、ということで軽くて汚れも付きにくいナイロン製のリードと首輪をすすめてくれた。白い、小さな骨の模様がついたリードと首輪だった。

散歩に行くための準備として、時々、首輪だけをつけたりしたが、幸助には、異物が首の回りに付着しているように感じたらしく、後ろ足を上げて引っ掻いていた。しばらくすると、その首輪にヒモを付けたりしたが、幸助は、ヒモを引きずりながら、庭を駆けめぐった。

そんな準備をして散歩に臨んだのだが、とうとうはじめての散歩の距離は、門から10㍍ほどの距離で、終了した。これが、幸助の散歩、事始めだった。

もっとも、幸助の甥で、半年ほど年長の世田谷の白柴のレン君も、はじめての散歩は、ほとんど門から前に進まず、少し行ったら座り込んだ、ということだったので、幸助も、まったく同じような行動を取ったことになる。慎重すぎる行動は、これはこれで、賢い柴犬の証明ということにしよう。

だが、いつになったら、利根川の河畔や敷島公園の中を一緒に散歩できるのだろうか。水辺と緑に囲まれ、クルマにもほとんど出会うことなく、小一時間も歩き回ることができるこの地は、散歩にとって、最適の環境なのだが。

(2007年5月3日)

一挙に、散歩友達

 〜春風が吹き渡り、草木がそよぐ利根川河畔に散歩デビューした幸助〜

杞憂だった。やはり、幸助は、すぐに散歩友達になった。

散歩をはじめて、3日目になると、幸助の動きは、にわかに活発化した。首輪をつけると、自分から進んで門の外に出ようとした。どうやら、幸助の鋭い嗅覚も、このあたりは安心できる、と判断したようだ。そうなると、ことは早かった。

歩き始めると、一緒についてきた。時には、自分から進んで前に出ようとして、首輪でノドを締めてしまい、咳き込んだ。時々、道端の草むらや立木に近より、慎重にニオイを嗅ぐ。そこには、過去から現在に至るまで、多くのワンちゃんたちが、繰り返しマーキングをしてきたので、たくさんのニオイが積み重なっているはずだった。

まだ4ヵ月に満たない幼い幸助にとって、自分の縄張りを主張するマーキングという行為は無縁なのだが、ほかのワンちゃんたちの積み重なったニオイには、十分すぎるほどの関心を示した。近隣では、ピレーネマウンテンドッグのような大型犬から、チワワのような小型犬にいたるまで、たくさんのワンちゃんが散歩を楽しんでいる。慎重に鼻をつけて、繰り返しニオイを嗅ぐことによって、幸助は、そんなワンちゃんたちの姿を脳裏に刻んでいるようだった。

群れをなして生活してきたワンちゃんたちは、集団の中での自分の位置を決めようとする。ニオイを嗅いで、他のワンちゃんの姿を探ろうとする幸助は、近隣のワンちゃんたちの集団の中で、自分の位置がどこにあるのかを、繰り返し確かめてもいるのだろう。

姿は見えなかったけれども、ある時、大型犬の重い吠え声が、近隣に響き渡った。すると、まだ散歩をはじめて2回目の時、道路に腰を下ろしていた幸助は、幾分そわそわし、自分から進んで、すぐ近くの自宅に向かって行った。家から一歩外に出ると、そこは、子犬たちにとって、不思議な別世界がひろがっているようだ。何があるか分からないし、どんなモンスターがいるのかも分からない。だから、初めての散歩は、幸助にとって、慎重すぎるほど、慎重に行動したのだろう。

でも、3回目の散歩になると、そんな次元は脱した。別世界を探訪する好奇心と喜びが、不安を打ち消したのだ。鼻を鳴らし、ニオイを嗅ぎ分けて進む。耳を立てて周囲のクルマの音に反応する。時々出会う散歩のワンちゃんには、立ち止まって、ずっと凝視し続ける。自転車に乗った子どもたちが近くを通ると、一緒になって走ろうとした。

道路を横切って、利根川の河畔に出る。すると、上空を大きなカワウが長い首を突き出して、ゆっくり飛んでいく。カラスたちは、いつも騒々しく河原で餌をついばんでいる。ゴウゴウと、大河の大きな水音が辺りを包む。どれもこれも、幸助にとって未知の世界だ。前進しては、立ち止まる。辺りを確認して、また進む。そうやって、大渡橋のたもとまでやってきた。距離にして、自宅から1.5キロほど。3回目の散歩でここまでやってくるなんて、まったく予想しなかった。幸助は、一挙に、散歩友達になった。

(2007年5月17日)

 

 

河畔は刺激に満ちている

 〜今日もやってきた大利根川の河畔、ご機嫌の幸助〜

クルマの行き交う国体道路を横切り、利根川の東側土手に出ると、そこは、幸助の散歩コース。大空が開け、3キロ先の県庁舎が、積み木細工のように下流に見える。

河畔は田園の野趣に満ちている。春には、川辺のアカシアの木や足下の野バラの甘い香りが漂う。河畔の散歩は、頭上に広がる大空と、むせかえるような緑と、所によってはゴウゴウ音を立て、所によってはゆったりと流れる水辺の世界をさまよう旅となる。

空を水鳥たちが行き交い、河畔の野球場、サッカー場には、たくさん人々が集い、走り回り、歓声が上がる。狩りをして生きてきたオオカミを祖先に持つ柴犬・幸助は、動くものに目がいく。立ち止まって、人の動きを見る。キャンプ場からは、お肉の焼けるニオイがただよい、敏感な幸助の鼻腔をくすぐる。河原に降りると、砂場には、水鳥の足跡があり、石の上から目をこらすと、水の中に小魚が群れている。河畔の散歩は刺激に満ちている。

河原に出ると、幸助は、浅瀬にザブザブ入っていった。水には抵抗感がないらしい。5月の利根川の水は、雪解け水を含んで、まだ冷たいはずだが、お腹がついてしまうほどの深みにどんどん入っていく。大河の水も、ピチャピチャ飲んだ。いつもの水道水とはちがう味がしたはずだ。

河原には、大小、多種多様の岩石が転がっている。ところどころに、赤茶けた岩石が、ちょうど氷山の一角のように、顔を見せている。その岩盤本体は、10メートル前後の地中に、横たわっている。その範囲は、下流の玉村町から上流の関根町までおよんでいるようだ。赤茶けた岩石は、2万4000年前の浅間山の大噴火による火砕流が、この辺まで流れて着いて、冷えて固まったものである。前橋の中心街は、かつての火砕流が固まった赤茶けた岩盤(「前橋台地」)の上に築かれている。だから、地震に強いはずだ。

〜河原に露呈した2万4千前の岩石に立つ4ヵ月目の幸助、後方は県庁舎〜

 

この赤茶けた岩石は、誕生以来、2万4000年の歳月を刻んでいるので、年齢は、2万4000歳になる。その上に、わずか4ヵ月目の幸助が乗って、記念撮影をした。幸助を乗せた赤茶けた岩石は、利根川の水流や風雪に耐えて、2万4000年も、ここに生き残ってきた。だから、多分、これから数千年も、いや数万年も、ここに居続けることだろう。

かたや、柴犬の幸助が、これから全うできる生命は、せいぜい15年前後であろう。悠久の大地と今の一瞬を輝く生命が、河畔で出会った。もっとも、かくいう自分も、幸助同様、一瞬の輝きを放っている生命に他ならない。さて、残された一瞬をどのように輝こうか。そんなことを考えさせる河畔の散歩は、刺激に満ちている。

 

(2007年5月20日)

 

 

たくさんの歓迎

〜出会う人々から歓迎されて、散歩が大好きになった〜 

たぶん、足が悪いのだろう。ゆっくりと、上体を揺らしながら、お年寄りが向こうからやってきた。敷島公園での散歩の途中、幸助はいつものように、座って、近づいてくる人を待っている。幸助の近くにやってきたお年寄りは、それまで口を結んだ顔をほころばせて、小さな声で、「おはよう」と挨拶をしてくれた。幸助も、喜んでしっぽを振った。気むずかしそうに見えたお年寄りも、幸助に笑顔を見せる。幸助の、というより子犬の人を癒す魅力は、とても大きいのだ、ということに気づかされる。

今回だけではない。幸助は、人が向こうからやってくると、きまってお座りをして迎える姿勢を取る。多くの人は、幸助に声をかけて、挨拶をする。それにつれて、こちらも挨拶をする。1人で黙々と散歩をしていた時とは、大違いである。

とくに、中高生の大会などが開催されるときには、県下から集まってきた中高生から、「カワイイー!」と声をかけられ、頭をなでてもらったりするので、幸助も、ジャンプをして飛びつき、歓迎する。入れ替わり立ち替わり、中高生の少年や少女が幸助にさわりにやってくる。その度に、幸助も、大歓迎をする。顔をなめさせる子もいる。もっとも、キャプテンと思われる少女から、「いま、犬にさわった人は、手を洗ってくること!」という指示が飛んできた。しっかりした子である。すると、少女たちの何人からトイレに向かってかけだした。それでもまた、幸助を囲んで頭に触れたり、しっぽにふれたりして、歓声をあげる。はち切れそうな笑顔と弾む声が幸助の周りを包む。子犬の魅力は計り知れない。老若男女から、声をかけてもらい、歓迎される。

お艶ガ岩の池で、釣りをしていた少年から、「何という名前ですか?」と聞かれたので、「幸助だよ」と教えたら、名前を呼んで、幸助に抱きついてきたので、幸助も、ちぎれんばかりにしっぽを振りながら、繰り返しその少年の顔をなめた。

2007年7月10日、幸助は、ちょうど6ヶ月目になった。この日の体重は、10.46キロであった。無駄な肉もついてなく、比較的、スラリとした姿態をしている。獣医の金子さんが言うには、今のところ順調に育っていて、体重も、これから増えたとしても、1キロほどだという。柴犬の雄の標準体重は、9〜11キロなので、ちょうどこの体重の上限当たりになる。

6ヶ月となると、雄としてのしぐさも見せるようになった。散歩の途中で、片足を上げてオシッコをする。ときたま、前足で踏ん張って、逆立ちしながら、高い場所にオシッコをかける。マーキングは、自分の縄張りを宣言しているのだが、それも逆立ちをすると、大型犬のマーキングの高さにまでとどいていることだろう。あとからやってきて幸助のニオイを嗅いだ犬たちは、ここは大型犬の縄張りと勘違いするにちがいない。

すべてが順調な成長を見せる幸助だが、車に乗るのは嫌いなようで、乗せて走り出すと、キャンキャンと騒ぎまくる。膝の上で落ち着かせようとしても、泣きやまない。身体も震えている。これには困った。幸助を連れて車で遠出が出来るように慣らさないといけない。

(2007年7月11日)

 

幸助・7ヶ月、川遊びの日

 〜今日で、7ヶ月となった幸助、2007.8.10.早朝散歩で〜

2007年8月10日で、幸助は7ヶ月目を迎えた。ほぼ成犬に近いとされる7ヶ月の幸助は、体高で約41センチとおもわれるが、これは正確に測り切れていない。体重は、10.9キロほどで、標準的な体重よりも、2.6キロほど重い。

散歩で会う柴犬の飼い主たちの話では、これからもまだ幾分大きくなる、という。幸助の足が太いので、まちがいなく大きくなる、とのことだ。たしかに、他の柴犬と比較して、幸助は大きく、また足も長くて太いようだ。もっとも、過日に散歩で出会ったシェパードと紀州犬との雑種で、一見大きな柴犬のように見えた「巨大な日本犬」からすれば、ずっと小型だが、一応標準的な日本犬の小型タイプ=柴犬の中では上限の大きさになるのかも知れない。食事の回数は、まだ朝昼夕と3回やっている。

散歩では、鼻先を地面に近づけた状態で、どんどん歩く。そして、時々たばこの吸い殻などを口に入れ、その場で注意するとはき出すこともあるが、飲み込んでしまうこともある。大好きなのは、行き交う人と犬たちで、遠方からでも、こちらに近づいてくるのが分かると、お座りをしたり、伏せをしたりして、喜々として待つ。

草むらや芝生も大好きで、ペタとお腹をつけたり、こすったりと満足そうだ。青草の香りは、心休まる。とくに刈り込んで間もない草原の香りはよい。そんなときは、幸助と一緒に、しばらく腰を下ろして、草の香りに満たされる至福のひとときでもある。

帰省した娘とはじめて一緒に散歩に出かけたが、「犬の散歩にはいい環境だね」というので、「うん、人間にとってもいい環境なんだよ」といって、あらためて、緑と水と空間的な広がりが生き物一般に与えるであろう深い癒しの効果に気づかされた。

水辺も好きで、散歩の途中、松林の中を流れる小川にはすぐ入り込む。ときどき伏せて、お腹を水に浸す。これも、盛夏の昨今では、とても気持ちよさそうだ。大河の利根川にも喜んで入っていく。

夏休みになったら、一緒に川遊びをしょうと、あらかじめ用意しておいたリードと首輪が役に立った。リードは8メートルまで伸縮自在だから、深みや浅瀬をさぐって、川の中をあっちに行ったりこっちに来たりする幸助の行動に会わせて自在に伸縮し、いつも首輪と私の手をつなぎ、水に浸からない。首輪も、水に濡れても良い素材なので、思いっきり川遊びが出来た。

時に転びそうになりながら、川面に突き出た大きな石に乗り、浅瀬を探して進んだ。幸助も、ザブザブと川に浸りながら着いてくる。さすがに犬かきが必要な深みには行かないで、浅瀬を着いてくるが、それでも背中から下は水に浸る。ちょっとやせたように見えたのは、さすがに柴犬の分厚い毛も、水に浸って身体にまとわりついたからだった。

川の中から、川辺を見ると、高く生い茂ったアシの林が追いかぶさっている。アカシアや柳の木も大きく枝を広げている。川辺の遊歩道まで引き返そうとしても、自分たちがどこにいるのか分からず、迷ってしまった。

川辺の木に蛇の抜け殻がまとわりついていた。蛇の抜け殻は、子どもの頃からよく見た光景なのだが、ちょっと気になった。というのも、その蛇の抜け殻はあまりにも大きかったからである。あたかもニシキヘビの類の大蛇のような抜け殻だった。まさか不心得者が、ペットにして飼い、手に負えなくなったニシキヘビを、この利根川の川辺に来て、捨てていったのではあるまいとおもうが、ちょっと不安になり、幸助を早くその場から離した。夏の肝試しのような川遊びでもあった。

(2007年8月12日)

愛犬との散歩の効用
〜9ヶ月、体重11.5キロ、体高約41センチ〜

この10月10日で幸助は、9ヶ月となった。体重11.5キロ、体高約41センチ。多分、姿態の大きさは、ほぼこれで固定化する。柴犬の雄としては、日本犬保存会の基準では、体重・体高とも上限に位置しているようだ。体高は、正確に測定する器具を持っていないので、場合によっては基準オーバーの可能性もある。小型犬が好まれる風潮からすれば、大きな柴犬となるが、大きい方が生き物本来の生命力と存在感がある。

朝夕の30〜40分ほどの散歩が日課になるが、これは飼い主の健康管理上の目的ーー半ば強制的に散歩を日課にするように愛犬を飼うーーといった目的は、今までの所、十分達成されている。散歩を今か今かと待ち望んでいた幸助を連れて、利根川に向かう。川沿いの国体道路にさしかかると、車が通りすぎるまで、「待て」をして待つ。クルマに注意しながら横断する。幸助は、河原の散歩道を鼻で嗅ぎながら早足で進む。結構な速度だ。こちらも、一番早い歩行速度に切り替えて、ついて行く。と、数十メートル行って、マーキングをする。このときは、立ち止まってつきあう。そんなことを繰り返すと、幾分汗ばんでくる。やがて国体道路を渡り、陸上競技場などのある敷島公園に入る。最近、ここに来てようやく排泄するので、ナイロン袋を出して手にかぶせ、直接幸助の糞を回収し、健康状態などもチェックする。

公園に入ると、ウイークエンドには、地元サッカーチームのザスパ草津の試合や中高生の各種体育大会が開催されている。老若男女が集い、出店でごった返し、熱気が伝わってくる。日頃、静かな公園も、そんな日は賑わいを見せる。こちらも幸助も、なんとなくウキウキしてくる。

夏場には、プールで競泳や高飛び込みの練習を繰り返す光景が目に飛び込んでくる。数メートルの高さから水面めがけて落下する姿はいつ見ても、ハッと息をのむ。すごい。しばらく見とれることもある。なかには、たまに失敗して大きな水音を立てる者もいるが、その時は、水圧で、お腹や背中が真っ赤になる。とても痛いはずだ。自分も少年期に故郷の川での水遊びの時、高い所から飛び込んで失敗し、しこたまお腹を打ったことがあるが、それはそれは痛い。

そんなことを思い出しながら、しばらくプール際に立ち止まって練習を見ているのだが、幸助が居るとちょっと安心する。挙動不審者がいつまでも水着姿の若者を観察している、と誤解されないからである。高い飛び込み台からでも、ほとんど水音もしぶきもあげない上手な者もいる。落下する自分の体重と水面との衝突のエネルギーをどうやって解消するのだろう。多分、水面に衝突する瞬間に、その身体はヤリかモリか水鳥に変身し、垂直に突き刺さるのだろう。驚いてしまう。

右手に補助の陸上競技場、左手に野球場を見ながら公園の松林に向かう。突然、知らない人からも、声がかかる。愛犬を散歩に連れている人である。立ち止まって話をする。これも、愛犬との散歩の効用だ。幸助も嬉しそうだ。松林を一回りして帰宅すると、ほぼ3000歩がカウントされる。ズルをして2000歩ちょっとで帰宅することもあるが、そんなときは幸助も分かるらしく、公園の出口近くの芝生に寝ころんでしばらく動こうとしない。お腹を芝生につけ、ソリのようにして遊んでは、その場に止まる。要するにまだ帰りたくないのである。

動こうとしない幸助を動かす秘訣がある。近くに転がっている松ぼっくりを蹴飛ばすことである。すると、反射的に松ぼっくりを追いかけ、飛びつき、くわえる。小さなネズミのような松ぼっくりが自分の目の前を素速く転がっていくので、好奇心と狩猟本能が刺激されるようだ。公園の出口方面に向かって、何度か松ぼっくりを蹴飛ばすことを繰り返す。幸助も、喜々として松ぼっくりを追いかける。その結果、幸助にしてみれば、松ぼっくりを追いかけていたはずなのに、いつのまにか公園から出てしまう。道路の歩道に出てしまえば、諦めて、さっさと家路につく。

(2007年10月13日)

1歳=18歳の新年

休日でもあり、まだ正月気分の抜けない今日この頃だが、風もなく、快晴だったので、冬枯れの利根川に繰り出した。すっかり葉を落とした桜の木の前で、記念撮影をした。何度か撮り損なって、ようやく正面を向いた写真の1枚である。この点、デジタルカメラは何度失敗しようが、繰り返し撮影し、あとで気に入った写真を選択すればいいので、素人の日曜カメラマンにとっては、強い味方の文明の利器である。とくに、予測不能の上、俊敏に動き回る被写体を撮影するには、重宝する。ここぞ、と思ってシャッターを押しても、写っているのは背中だったり、シッポだったりすることが実に多いからである。

新年早々の1月10日で幸助は、ちょうど1歳になる。愛犬家でもあり、在野の犬の研究者でもあった平岩米吉氏(同著『犬を飼う知恵』築地書館、2004年2月)によれば、犬と人の年齢を比較すると、犬の1歳は人の18歳に匹敵する、という。したがって、幸助が人間なら、18歳を迎え、高校3年生となった。1歳からの犬の年齢は、平岩によると、人の4倍半の速度で年を重ねていくそうなので、15歳で人の男の平均寿命に近い81歳となる勘定である。とまれ、ようやくというか、あっというまにというか、幸助は、18歳の若者に成長したわけである。

1年間の「子育て」で気付かされたことは多々あるが、犬は猫と違い、群れの中で生活する動物だということだ。ともなく何をやるにも、一緒になって行動しようとする。庭に掘った穴を埋める作業をしていると、一緒になって作業をしたがるのだが、こちらは埋める作業をしているのに、幸助は埋めた土を掘り返す作業をするので、いつまでたっても穴が埋まらない。それを大喜びでやっているので、叱ろうにも叱れない。

犬は、人の表情を読んで行動するようだ。幸助がなにかに気を取られているとき、通常の言動で、「おすわり」といっても従わない。餌をもっていないなど、ここでお座りをすることの意味が分かっていない場合、指示の内容が分かっていても、指示に従わない。危険を回避したりするには、突然の指示が必要になることがあるので、状況に関係なく、「おすわり」や「まて」の指示をすることがある。指示が出ると、アイコンタクトをし、こちらの表情をじっと伺っている。表情に真剣さを読み取ると、その指示に従う。そうでない場合は、中途半端に何回指示しても、一向に従わない。犬は表情を読み、また一定のプライドをもって周りに対応しているようである。

1歳=18歳の若者は、多分、これからも元気いっぱいに動き回り、こちらを翻弄させつつも、楽しませてくれるにちがいない。冬枯れの利根川河畔の芝生を躍動する若犬は、正月休みで弛緩した身体に刺激を与えてくれる。

と、そんな気分に浸りつつ河畔を散歩していると、時折、大きく広がった空を爆音で切り裂いて、戦闘機が飛び去っていくようになったことを思い出した。旧年のニュースは、防衛省の事務次官が汚職で逮捕されたり、国民の支払った年金記録が5000万件も宙に浮いている、といった悪しき出来事を伝えている。新年が、平和と福祉の年であってほしいを改めて思う。そのためには、再発防止のルールとシステムを制定することが肝要なので、年明けの国会での優先的な審議をもとめたい。

(2008年1月5日)

体調不良

晩春にさしかかり、餌の食いがよくない。いつもなら、散歩から帰ると、幸助は、「サアー、食事だ」といわんばかりの体勢に入り、口元から、唾液が何滴かしたたり落ちる。

ところが、3-4月にはいると、いつものドッグフードを目の前にしても、進んでお座りをして、はやく食事にありつこうとはしない日があった。なにか変わったことと言えば、散歩の途中に、青草を食べるようになったこと、抜け毛が多くなったことである。青葉若葉にむせ返る季節に、1才をすぎた若犬の身体の奥底で、自然のなんらかの摂理が作用しているのだろうか。

テラスに4足を投げ出して、あたかも死んでしまったかのような姿を見ると、心配になってくる。弟に連絡を取ってみると、彼の愛犬も、この時期に、同じような症状に見舞われている、とのことであった。それだけでなく、知り合いの多くの柴犬も、同じような症状に陥るようなので、あまり心配はいらない、とのことであった。

症状が悪化したのは、いつも一緒にいる妻が家を留守にしたときである。小旅行と所用を兼ねて、3泊4日ほど、妻が不在になったその日に、まず大量の嘔吐をした。それに気付いたのは、いつも下敷きにしているタオルケットがサークルの隅に寄せられていたので、それを畳んでやろうしたときである。タオルケットの下に、まだ消化されていない嘔吐物を発見した。

続いて早朝に、「クーン、クーン」と鳴声が聞こえた日、朝起きてみると、タオルケットの下に、下痢をしていた。いずれも自分の粗相を隠そうとするような健気な行為をともなっていた。

食事もあまり喉を通らない、飛び跳ねるような躍動感が消え、トボトボ歩いては、ときどき青草の上に寝ころんで休憩を取る。そんな散歩の日が続いている。

---後日談:体調不良の4〜5日間、時には血便が出たりしていたが、ほぼ1日熟睡するような日があり、その翌日から元気になってきた。5月初旬の連休後半には、いつもの幸助が戻った。原因をあれこれ考えるのだが、体調不良に陥る3日ほど前に、狂犬病などの注射3本をしたことが遠因なのか、散歩中になにか悪いものを食べたのか、いまだよくわかっていない。とまれ、1.5メートルの高さから、ジャンプをして飛び降りたり、と、いつもの躍動する幸助が戻ったことで一安心である。

(2008年4月29日)

「只今 逃亡中」

今日は、「敬老の日」の公休日。敷島公園の陸上競技場では、県下の高校の陸上競技大会が開催されている。スポーツの秋到来である。県下から集まってきた高校生達は、公園のあちこちに自分たちのテントを張り、ここを拠点に、ランニングに出かけていっては帰ってきている。

幸助といつものような早朝散歩をしていると、その脇を10名ほどの一団が走り抜けていった。速い。スラリと伸びた脚は、まるでカモシカのようだ。「胴長短足」世代とは違う。戦後の食生活や生活スタイルの急速な変化のせいなのだろうか。

走り去っていく一団の後ろ姿を目で追っていると、「只今 逃亡中」の文字が目に飛び込んできた。ティシャツのプリント柄であった。最近のプリント柄は、横文字だけでなく、漢字なども増えてきた。背中に大きく書かれた「只今 逃亡中」のプリント柄には、笑ってしまった。

追い越された者から見れば、遠ざかるランニング中の彼の背中は、いかにも「只今 逃亡中」と目に映る。彼が速く走れば走るほど、この場から速く過ぎ去れば、過ぎ去るほど、「只今 逃亡中」の背中の文字は、いよいよ現実的にその意味を強くし、説得力を持つ。「うまい!」、「絶妙である!」。

そのうえ、高校生の彼は、3年生ならずとも、受験勉強中の身であろう。すると、「只今 逃亡中」のプリント柄は、ランニングをして、視覚的にこの場から遠ざかる、といった意味に止まらない。味気ない受験勉強とそれを強制する周囲や社会から逃れる、といった意味を持つことにもなる。「只今 逃亡中」、いわば、現代社会に対する消極的ではあるが、ささやかな抗議・レジスタンスのプリント柄でもある。

そんなことを考えさせられた早朝散歩であったが、わが友幸助は、そんな周囲の慌ただしさなど、どこ吹く風とばかりに、大好きな芝生の上に寝ころんだ。

(2008年9月15日)

人なら22歳の旅立ちの年

今年2009年の正月10日で、幸助は2才になった。新年の訪れとともに、めでたく成犬の仲間入りをしたことになる。松林にたたずむ容姿も、そこはかとなき成犬の雰囲気を漂わせるようになった。

ゼロ歳2ヶ月の時から2年間の体験を積むと、はじめて犬を飼った新米の飼い主にも、愛犬の体調については一応見当がつくようになる。これで幸助も飼い主も、ひとまず安心といったところである。

犬年齢の満2歳は、人に換算すると、22歳のようだ(平岩米吉著『犬を飼う知恵』築地書館、2004年、231ページ)。幸助が人なら、ちょうどこの4月に大学を卒業して、学窓から社会に旅立つ年齢である。だが、昨今の人社会を見ると、アメリカの金融危機に端を発した世紀単位の世界大不況に陥りつつある厳しい経済社会が訪れている。なかにはせっかく決まった就職先から内定を取り消された学生も出ている。なまじ犬社会にいた方が、マネーと利益だけを追求する過酷な資本主義的市場経済の荒波から逃れられる、というものである。あとは飼い主から、朝夕の散歩と排泄、そしてドッグフードを与えてもらえるよう催促すれば、衣食住が満たされ、「健康で文化的な最低限の生活」(憲法第25条)が適うからである。

成犬になった後、犬は、人に換算して、毎年4歳半ずつ齢を重ねていくようである。すると、人(男)の寿命は、ほぼ80歳なので、これは、犬年齢では、15歳にあたる。雄の幸助は、残すところ13年間の生を全うする。ということは、飼い主がまだ後期高齢者に達する以前の年齢だから、幸助は、これからも憲法第25条の人間の生存権を、犬として享受していけるわけである。

もっとも、それは飼い主が、文化的とは言えないまでも、少なくとも健康なままでいられることを前提にする。そのためには、飼い主の個人的な努力だけでなく、人間社会の安定した営みが不可欠なので、豊かでゆとりのある経済社会の実現、環境問題の解決など、現代世界と日本の抱えたさまざまな問題に目を向けていく必要がある。

犬を飼うことでたくさんのものが見えてくる、というのは、いささか言い過ぎの感もあるが、犬を人間の子どもに置き換えたなら、あながち言い過ぎとは言えない。これで、猫の目線を借りて、人間社会を論じた文豪の夏目漱石に、ちょっと近づいた気がするというのは、これは明らかに言いすぎである。

(2009年1月28日)